こんにちは。
作業療法士×片麻痺・高次脳機能障害当事者のさやかです。
今回の記事は福祉サービスの利用・社会保障などの類ではなく、私個人の近況について書かせていただきます。
タイトルにもある通り、わたくしこの度、勤めていた職を退職しました!
児童発達支援・放課後等デイサービスで、4年2カ月(2018年4月~2022年5月)働いてきました。
最後の中途半端な2カ月は、引き継ぎ期間です。
前回のブログ記事でも書きましたが、この事業所でOTとして復帰することができた、私にとって転機となった職場です。
その職場をなぜ退職する運びになったのか、、、。
今回の記事は、退職の報告と退職理由を書いていきます。
退職理由はパートナーとの同居
退職の理由は、パートナーとの同居をスタートするためです。
私の居住地とパートナーの居住地が少し離れており、同居にあたって、彼の居住地に私が引っ越しました。
きっかけは「転勤」
もともと一緒に暮らす話はあったのですが、その話が急に現実味を帯びてきたのは、彼の転勤話が出たからです。
「ついてきてくれる??」と言われ、生まれてこのかた宮崎県を飛び出していない私は、「うん。う~~??」と歯切れの悪い返答をするのでいっぱいいっぱい。
ついていく??ついていかない??
この先、転勤はある。
だったら、転勤になってもならなくても「一緒に暮らす」という選択になりました。
といっても、転勤の話はまだ可能性の話であり、実際は内示も出ていない状態です。
転勤になった際はまた報告します。
(※今年、転勤ではなかったです!!)
二人暮らしの安堵感
私、一人暮らしをしてました。
13年間発作は出ていませんが、てんかんの既往もあり、家族や職場の方から、「もしもの事があったら、、、」と心配の声がありました。
その心配を解消するために、「居住サポート事業」やヘルパーを利用していました。
私の安全確認のためです。
二人暮らしになって、私が自宅で亡くなっている、、、なんてことは、可能性としてだいぶ少なくなったと思います。
でも!!
障害をお持ちの方で、「一人暮らしを目指している」方もいらっしゃると思います。
様々なサービス・サポートで一人暮らしは可能だと思いますよ!!
パートナー紹介
一応、パートナー紹介しておきます。
最近はネタになるつつあります。
なぜかと言うと、かなりの歳の差があるのです。
パートナーは11歳年下
実はめちゃめちゃ年下です。
11歳年下。けっこうパワーワード。
最初はあまり友人や職場の人も言えなかったのですが、、、(絶対ひかれると思って。)
打ち明けてみると、「いい!!」という声をいただきました(安堵)。
20代、若いです。
たまごっちもたまごっち狩りも、エアマックス95もエアマックス狩りも知りません。
(いま思うと、90年代半ばの「欲しければ奪う」思考が恐ろしい。)
パートナーへの「障害」の伝え方
私の障害については伝えたとき、意外にも普通の反応でした。「おれ全然きにしないよ」的な。
そう思ってくれることは、ありがたい事だなと思いつつ、、、
(見えない部分にも困り感があるからな~~~)
と不安にもなりました。
簡単に分かりやすく伝える方法はないか、、、
ブログが役立った!
「もうこのブログ見て!!」と、言いました。
私は失語症があるため、言葉で語ることが苦手です。
あらかじめ文章にまとめた、私の障害の特徴、困り感を言語化した記事を読んでもらったほうが、分かってもらえると思いました。
彼はというと、ブログ記事、以前出演したTV番組をみて、完全にとは言わないまでも、ふわっとした理解している様子です。
彼の家族や職場関係の方にも、ブログや出演したTV番組を紹介しており、「もっと知りたい!」と、関心を示してくれる事に感謝です。
最後に。
今回、退職した職場は、私が作業療法士として復帰した特別な職場でした。
配慮を受けるばかりだけではなく、いつの間にか支える・支えられるの関係になっていて、“障害者”“健常者”のくくりは、いつの間にかなくなっていたように思います。
しかし、この4年間の間に、さらに自分の「強み」「弱み」もの輪郭線がよりハッキリしたような気がします。
やっぱり、どーしたってできないモノは存在しますね笑
それでも、職場のみんなに頼りにされて、作業療法士としてとっっって自信になりました。
寄せ書きの一部分。いい人間関係の職場でした。
パートナーとの同居、退職。転勤の内示がでなかったら(※結局、転勤なしでした~~!!)、今の居住地で、よりハッキリした輪郭線の内側で、転職活動に励むと思います。
その際は転職活動についても記事アップしたいな~と思いますので、お付き合いくださいますと幸いです。
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