こんにちは。
障害当事者(右麻痺・高次脳機能障害・てんかん)のさやかです。
作業療法士・社会福祉士の資格も保有しています。
発症当時の様子はこちら↓↓↓
とんでもくなくお久しぶりです。
2024年になって久しいですが、2023年、とうとう記事を更新しませんでした。
記事は更新しなくとも、2023年は転機となる出来事がありました。
わたくし、転職しました。
18年間の社会人経験の中で、作業療法士(リハ助手含む)の仕事しかやったことがありません。
医療福祉の世界しか関わってこなかった私ですが、全くの異業種に転職しました。
「すぐ辞めたらどうしよう?」
と不安でしたが、1年経ったのでブログに書き記していこうと思います。
転職のきっかけ
体力の限界
千代の富士か!と、パートナーに突っ込まれました。
(令和を生きている若者は知らないよね・・・)
児童発達支援・放課後等デイサービスで働いていたのですが、転職時は39歳・・・・
体がガタついてきた(ついでに精神も)
いつでもかんでも走れないわ・・・・
身体的、精神的な理由もあり、前々から作業療法士を続けるか続けまいか、迷っていました。
判断の材料にしようと、障害者職業センターに職業評価を受けにいったりもしました。
障害者職業センター・職業評価については、以前のブログ記事をご覧ください。
「座った状態で作業療法士はできないのか?」とも思いますが、たぶん私自身が中途半端に動けることで動いてしまう。
誰かに強制はされないが、動いてしまう。
子どもたちを追って、動いて、遊んで、走って。
この「動いてしまう」の部分は、「できるけど、とんでもなく努力して」の“できる”。
だぶん自分で自分の首絞めてました。
だから転職しました。
ちなみにこの退職理由は、面接時にありのまま話しました。
現在の職場の人事部の方に肯定的に捉えていただき、感謝です。
転職活動はキャリアアンカーも参考に。
キャリアアンカーについては、私がキャリアコンサルタントの資格を保持していないただの一般人のため、ざっっっくりとだけ説明したいと思います。
障害者職業センターで職業評価を受けた際、私のキャリアアンカーは「自律・独立」タイプ。
次点は「生活様式」タイプ。
私の譲れない軸、価値観がこちら↓↓↓
多いです。譲れない軸。
職業評価を受けたのが2022年夏だったので、当時はこう思っていました。
たぶん私の根っこの部分はこんな感じ。
当時は、特にワークライフバランスを重視したいと思っていたと思います。
なんで銀行に就職したのか?
一番の理由はこれです。下記します。
年間120日以上、休みたい
もう本当にこれ!!
これしかない!!
(体ガタついてきたな〜、身体きついな〜、膝・足関節痛いよ〜)
障害もあるが、加齢とともにそう思うことが多くなっていました。
だんだんこう思うようになりました。
「年間120日以上の公休があるところで働きたい」
もちろん土日祝休みの120日。連休。
志望動機が休みが多いってどうなん??
と思いますが、私にとってはすごく大事なことでした。
転職当時の私の「譲れない軸」は、完全に「ワークライフバランス」。
ワークライフブレンドの「仕事とプライベートの共存」ってのはたぶん当時の私には難しい。
完っっっ全に分離したかったのです。
転職して1年。どうだった?
思いの外、楽しかった。
最初は完全に年間休日と福利厚生のためだけの転職でしたが、けっこう楽しかったなーと思います。
ただ私自身の能力や適性が、金融に向いてるとは思いません。
以前受けた職業評価の結果からみても、向いてないことが分かります。
というか、全ての能力が基準を満たしていないので、「向いている・向いていない」もない。
悲しいことに。
過去記事より抜粋。↑↑↑
それでも楽しかったと思います。
自分が無理をしていないということで、仕事を楽しいと思える感情が生まれてきたのかな、、、と。
「適性」「やりがい」も大事。
それと同じように自分自身の「休みほしい!!」というニーズも大事なことだと実感しました。
社会保険労務士試験にチャレンジします
1年経って、新たに興味のある分野があります。
興味のある分野とは障害者の労務に関すること。
以前から、『障害者の就労』になにかしらの形で関わりたいという想いがありました。
初めて訪れた障害者就業・生活支援センター(通称なかぽつセンター)の支援員の中に社会保険労務士の方がおり、そのことが影響していると思います。
どうにか当時の現状を打破したくて行ってみた、なかぽつセンター。
そのから国や市町村の公的機関や社会福祉協議会、就労移行支援へと繋がっていきました。
障害者の就労支援は医療・福祉・公的機関・民間企業の協動が必要不可欠だと実感したのですが、私が脳出血を発症した当時は、医療と福祉の連携が機能していない印象でした。
私自身も福祉を知っているようで知らなかった。
病院を退院したら一気の社会との関わりがなくなり、
「やばいやばいやばい」と、なり
(自分で行動するしかないんだ・・・)
悟りました。
当時の様子はこちら↓↓↓
当時の家庭環境は父母が病気がちで「自分のことは自分でするしかない」状態だったため、福祉との繋がりを求めていたのだと思います。
そんな想いもあり、自分自身にアウトリーチするために福祉サービス、福祉制度などを学び、社会福祉士を取得。
そしたら社会保障が面白くって。
で、「社会保険労務士、受けようかな〜〜〜」となったのです。
障害の特性を知っている作業療法士、福祉サービスや福祉に関する制度に強い社会福祉士、実際に障害者の就労(就労訓練含)を体験し、やるせない想いもいっぱいしてきた当事者の経験を土台に、労務のプロの社会保険労務士がくっついたら面白いかな、いや面白いと思う。
というわけで、社会保険労務士試験にチャレンジします!
2025年夏の受験を目指します。
とても合格率の低い試験ですが、
わたし合格すると思う!!!(言霊)
以上。
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