失語だから読書しかなかった【世のエンタメは情報過多】

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脳卒中後遺症





<strong>さやか</strong>
さやか

こんにちは。
右麻痺・高次脳機能障害者で元・作業療法士のさやかと申します。

今回は失語と読書について書きます。


失語症の要素の中に、失読という症状があります。
私も失読があります。


だかしかし、私の趣味は読書です。


昔から本が好きというわけではなく、病後7年ぐらい経過したころから好きになり始めていきました。


時に、「失語なのによく読めますね」という言葉をいただきます。
そして「(症状が軽いから読めるんだ。いいよね〜)」のニュアンスを受け取ることもあります。

 

自分でもびっくりですが・・・
「失語なのに」じゃなくて「失語だから」本を読むんだ〜〜〜〜!!!!


というわけ、なぜ「失語だから」本を読むようになったか、を自分なりに考察してみました。





ちなみに私の失語の症状についてはこちらに詳しく書いております。












結論からいうとエンタメが読書しかなかった



発症から7年ほど経過してから、本を読むようになりました。
本を読むようになった理由は、エンタメが極端に少なくなったからです。



まずね。
失行があったのでリモコンもパソコンも携帯電話も、



全く操作できなかったのでエンタメは無の状態


失行はこんな感じ。
意思があるにもかかわらず、目的をもった動作ができない。




時間の経過と共に、自分にあったエンタメを探していきましたところ、
読書に行き着きました。


消去法によってTVや映画の娯楽はなくなりました。






かといって文字が読めるわけではない


すぐに読書がエンタメ化したわけではない。
失語で文字が読めないので。

前述の通り、無エンタメの状態がめちゃくちゃ長く、読書ができるようになるまで膨大な時間がかかっています。







視覚・聴覚情報を同時に処理することの難しさ

刺激が多すぎて動画視聴が困難になった


病後(2009年)はTV、映画の視聴が困難になりました。

人が動いて、喋って、ワイプやテロップわんさか、彩り鮮やか〜〜〜!!!すぎて。






情報量が多いっっ!!!






刺激を全部拾ってしまう



聴覚情報と視覚情報を同時に処理することが困難なのですが、刺激は受容できます。
だけど、欲しい刺激のみを受容することができません。





脳には必要な情報を浮かび上がらせて、要らない情報は抑制して背景になる機能が備わっているのですが、それが難しい。


取捨選択でできない。



(注意機能で説明すると、『あの情報がほしい』と思える感度が亢進することはできるけど、必要な情報に注意を向ける選択性にバグが生じてる感じ)
※もちろん注意機能だけでなく複合的な症状です。


【注意機能についてはこちら↓↓↓】






一時停止できない地上波TVは苦手。
NetflixやU-NEXTなどの媒体で一時停止をしながら鑑賞します。

わざわざ苦しい思いはしない。

映画館で観る映画も一時停止はないので、発症後は映画も苦手でした。





漫画も苦手になった



昔は漫画好きでした。

SLAMDUNKとか動物のお医者さんとか大好きです。
(古くてすみません)

漫画が苦手になった理由も、上記した【情報量が多すぎ問題】です。
絵と吹き出しの短い台詞のみだと、可読性というより視認性でパッと見で理解できます。


だけど、ある一定以上になると頭の中がごちゃ混ぜとなり、オーバーヒートとなります。
まじで脳に火がついたんじゃないか・・・と思うぐらい熱く感じます。




◎可読性・・・文章の読みさすさ
◎視認性・・・文字・デザインの見やすさ

可読性・視認性についても今後、作業療法士の知見を加え書きたいなと思います。



特に効果音が多い漫画が苦手になりました。
例をあげると、ONEPIECEです。


なんか・・・あの



【ドーーーン!!!!!!】

が無理になりました。

バトル系漫画のあの効果音多用とか、背景までも圧倒的な書き込みで・・・・





私の失語症には、情報過多でした。
(漫画好きな失語症の方もいると思う。人それぞれ)








刺激の少ない読書にいきついた



私が苦手とする【情報・刺激ごちゃ混ぜ状態】で文章を読むことができないのであれば、刺激を最小限にしよう!!


というわけで、読書に行き着きました。





読書お役立ちグッズでなんとか楽しんでいる



本って、情報が文字しかないのが良い。
失語症ではあるので、文章を読むことに困難があるのですが、
(「文字と読む」のメカニズムに関しては長くなりそうなので割愛します)



情報を制御・調整すると文章を読むことが易しくなります。


(例)栞や定規を当てて、視覚情報を調整する
「魔法の定規」という読む作業を助ける道具があるのですが、それも有効。





下の画像のように、以前は厚紙をくり抜いて読む方法もやっていたんですが、
見通しがもてず(あと何行で終わる・・・など)、「遮断」するより「調整」するほうが良かった。









自分でタイムコントロールできる






読書は能動的な作業だと思います。

自分から「読もう」と働きかけて、疲れたらやめる。

「いつだってやめられる」ということが私にとって重要なんだと思います。


TVや映画のように受け身のエンタメに疲れた私には、丁度良かったのはと考えています。

発症時の2009年より、現在(2026年)はNetflixやU-NEXTなどの動画配信サービスが豊富なので、動画も一時停止しながら楽しんでいます。

良い時代になった〜〜!








失語症と注意障害のあわいで



発症後しばらく(2年ほど)は、失語症によって読めないという感覚がありました。
しかし現在(発症もうすぐ18年目)は、注意障害によって読みにくいではないかと思っています。

失語症と注意障害の境界線をはっきりと引けず、それぞれの要素がないまぜとなった状態です。
それでもいいな、と思います。


まだまだ読むことに困り感はありますが、
失語症にならなかったら「娯楽として本を読む」という行為・経験に出会わなかったと思うと、なかなか感慨深いです。



脳出血になって良かった
失語症になって良かった

とは全く思いませんが、





脳出血、失語症になったことが経験とその後の記録が
私の財産の一部となっています。





終わり。





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