【失語症は十人十色】〜発症当時と17年目の私〜

脳卒中後遺症
スポンサーリンク


こんにちは。
元・作業療法士で障害当事者のさやかと申します。

25歳のときにAVM(脳動静脈奇形)が破裂・脳出血を発症し、後遺症が残存しました。

その後遺症の症状や日々の暮らしの様子をこのブログにしたためています。
(更新はとっても遅いです)


脳出血発症の様子はこちらからどうぞ。




さて。
今回の記事は、過去ログの再掲「失語症について」です。



このWord Pressでのブログを始める前は、2017年からアメブロで書いていたものなんですが、
せっかくなので、過去の記事もリライトして掲載しようと思います。



昔の記事ですが、読んでいただけると幸いです。




入院中のストレスの一つは「伝えられない」こと



人それぞれ、入院中のストレスの中身を違うと思います。


入院生活1カ月を経過すると、ある程度泣いたら泣く気力もなく、徐々に鬱状態になりました。

ご飯食べるのにも、利き手交換するにも、その前に失行なの。できるわけない。

全てのことに困難さが伴う。



でもその時にストレスになっていたのは・・・


言葉がでない。
言いたいことが言えない。
筆談むり(失語・失行あり)。


伝えられないことがストレスになっていました。



ちなみに入院中の最大のストレスはオムツ着用です。



失語症とは??


失語症は「話す・書く・読む・聞く」等の障害


大脳の損傷由来によって、一度獲得された言語機能が障害されることです。


失語症には失語型というものがあります。

運動性失語、感覚性失語、伝導失語、健忘失語うんからなんから・・・

という感じで分類があります。


今回はその分類については紹介しません。


だって、どの方もどの失語型にぴったり当てはまらないと思うから



もちろん、失語型を全くもって無意味と言っているわけではありません。

失語型は一つの目安と考えています。




「失語症の症候学」の言葉をお借りしますと、

各症例の失語像を構成している要素、症状の把握が大切である。



私自身もそう考えていますし、失語型まで話を拡げていくと話が終わらない(私の筆力の問題)ので、

今回のブログは
「私の失語の要素・私の経験を通して感じたもの」
を書き記していきます。



ちなみに、前述した「失語症の症候学」はこちらです。

失語の症候学(医学書院刊)


ついでに。

神経心理学入門(医学書院刊)


タイトルに入門となっておりますが、当事者・そのご家族の方にとっては入門ではないです。


それでも、深くまで自分の症状を勉強したいと思っている当事者の方もいらっしゃると思い、紹介しまました。






失語症の症状(発症当時)



私が作業療法士だったとき、
「話す・聞く・読む・書く等の障害」
と、担当患者様に話していました。

しかし、発語一つにとっても、「全く言葉を発せない」や「言葉を発せても意味をなす言葉ではない」など、いろんなパターンがあります。

まさに十人十色。


以下からは私の場合の「どんなふうに」読めないのか、書けないのか、記していきたいと思います。
(私の場合はわりと典型的なほうだと思います)




発語が困難


換語困難

言いたい言葉、意図した単語を発見できず、その言葉が口をついて出てこない状態。

失語の症候学






文字が想起できなくて書けない




書こうと意識したときに、頭の中がふわっとまとまらず、文字を想起(思い出す)できない状態でした。

わたしの場合は、

発語は語発見できない。
文字は語想起できない。



「あれよ・・・あれ」という頭の中のイメージすらなかったような気がします。

出現していた症状に明確な線引きが難しいので、イラストにしました。









「何か」が邪魔して読めない



抽象的すぎて申し訳ありません。

この「何か」・・・


光だったり、もやだったり・・・・

そういったモノが、読もうと注視すると邪魔をしてきます。


時にフィルターが幾重にも重なる感覚でもあります。


しかも均等に重なっているのではなく、所々で薄くなっていたり、濃くなっていたりと斑な状態です。




余談①

光過敏症の方の「背景が白いと眩しくて読みにくい」という症状は、もしかしたらこんな感じなのかな・・・と思ったりもしました。







言葉が穴埋めテストで理解できない



穴埋めテストの穴の数が多すぎて意味不明でした。



失語における聴理解障害には語音のレベル(語音認知)、単語のレベル(語義理解)、把持スパンのレベル(言語短期記憶)、文章のレベル(統語理解)などに区別される。

失語の症候学


単語だとわりと理解していたと思います。

文章のなると途端に意味が分からなくなります。


統語理解の問題なのか、言語性短期記憶の問題なのか・・・
おそらくどちらも、なのだと思います。

あの当時にもどって、自分を俯瞰で見てみたい!



注釈として↓↓↓

語義理解障害

聴いた単語の意味が分からなくなってしまう。


統語理解障害

文法の理解障害で、物事や空間的な関係性がわからなくなってしまう。






思考が数字を受け付けなくて計算できない




3+2が5であることは分かっているとは思います。


でもできない。
脳が考えることをシャットアウトしていました。








17年目の症状


発症から17年目の私の症状です。
(もうこんなに経ったのか!!)



言いたいことを間違う


ときどき錯語がでます。

錯語とは、言い間違いのことです。
種類があります。


語性錯語

別の単語に置き換えられてしまう。
例)時計→メガネ


また、何からの関連がある錯語は意味性錯語です。
未だににお風呂と言いたいので、トイレと言ってしまう。



音韻性錯語(字性錯語)

単語の一部分が他の音節に置き換えられてしまう。
例)とけい→とてい


結構な頻度であります。
私の場合は、な行↔は行で、音節が置き換わりやすいです。





話せるけど非流暢で言葉が出てこないことがある






特にアルファベット三文字頭字語。


頭文字に続く文字の読みが全く分からなくなります。
頭文字は言えるのに、次の言葉が出てこない。

TKG(卵がけご飯)を、「てぃ・・・てぃ・・・てぃてぃ・・てぃ」となるのです。

SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)も、「え・・えす・・・」となるのです。

KPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)も、「け・・けぃ・・・」。


三文字頭字語は難易度がとても高い。

改めて考えてみると、病後にできた新しい概念だったり、最近仕事でよく聞く言葉だったりが特に難しいようです。

新語、難しい。



病前に私の中で浸透している三文字頭字語はスラスラ言えます。
代表三文字頭字語はNHK。





三文字頭字語だけではなく、日常の会話も非流暢です。
単語を区切って、頭の中で考えながら、時間をたっっっぷりかけて話しています。







書ける。だが「てにをは」を誤る




「てにをは」は発語するより、書字することのほうが難しい。
また間違ったことに気づかないことが多いです。



困ったなと思いつつも、出版社(小学館)からこのような記事も出ていました。




失語症ではない方も間違うようです。

なーんだ。



日本人が日本語を正しく使えないということが悲しくもあり、安堵する気持ちもあります。

間違うけど、間違ったことをそこまで気にしなーーーーーい。






読めるがとんでもなく時間がかかる 




集中すると読めます。

正直、「失語症なの?注意障害なの?」と自分でもよくわかりませんが、しっかりと線引きはしません。


以前と同じように、読もうとしているエリアにふわっ・・・と靄がかかっているイメージです。



この「集中」という言葉、すごく抽象的です。
私の場合、物理的にエリアを狭め、情報量を操作すると読みやすくなります。




実際にやってみた対応はこちら↓↓↓

実践例① 厚紙の一部分をくり抜く

(※絵が右手使用ですが、私は右麻痺です。書き直すの面倒くさくて・・・)
絵の中の一節は『博士の愛した数式』より。



発症から3〜5年目ぐらいの時に、書類を読む際に実践してました。
でも今は実践していません。


理由は面倒くさいから。
見通しが持てないから



わざわざ厚紙を買いにいき、定規をあてて(この行為も難易度高くて・・・)、カッターでくり抜いて、文章を読む場に持っていく・・・




面倒くさい。



見通しが持てないから嫌というのは、厚紙部分は全く文字が見えないので、
「ここらへんで終わり」という感覚を感じにくいのが苦手だったみたいです。



話変わりますが、そういった意味で電子書籍も苦手です。


あと、前の文脈をすぐわすれちゃうんですよ。私。
確認するために、何回も厚紙を上下前後に移動する行為が面倒くさい。


情報を制限「しすぎる」のも逆効果だったようです。









実践例② 定規としおり



この実践例はいまも行っています。
特別な用意もいらないので楽です。

職場は定規。
プライベートはしおり。


趣味の一つが読書です。
「失語症なのに読書?」と思われるかもしれませんが、むしろ「だから読書」なのかもしれないのです。

理由は自分でタイムコントロールができて、情報量が少ないから。
(といっても、病後7年ほどは小説などの読書は辛すぎて読書していません。)



エンタメを楽しむコツは、情報量を少なく、かつ少なくしすぎず。





当然のように、発症から数年はTVや映画はエンタメではなくなりました。

TVの「映像を見て、音声を聞いて」の同時進行を、一時停止なしで楽しむってすごく難しい。


ここの部分についても

「失語症なの?注意障害なの?」
となりますが、グラデーションの曖昧な中にいると思っています。


そして「いつでも一時停止できる環境じゃないと楽しめない!」

となった私は、Netflix(2015年開始)というものがない時代から、VOD配信(ビデオ・オン・デマンド)を多用していました。

特にdビデオ(2011年開始)。


今のようにサービスが当たり前にある状態ではない中、dビデオ(→dTV→現Lemino)様・・・・
私のエンタメを支えていただき、ありがとうございました。









言葉の置き換わりと数字の聞き取りにくさ



昔より「何言っているが分からない」という事が少なくなりました。


いまもある症状の一つは「言葉の置き換わり」「2桁以上の数字を聞きとりにくい」です。





言葉が置き換わってしまう

相手の方が言ったであろう言葉とは、違う言葉で聞き取ってしまいます。
錯語の聞き取りバージョンみたいな感じ。

(錯聴・・・といっていいのか?)



とてもナチュラルに置き換わるので、自分でも間違いに気づかないのです。

文脈がなんかおかしいぞ・・・?と、振り返った際に、周りに確認するなどして理解します。


仕事では、声に出して何度も確認します。
間違っていたら周りの方が気づいてくれます。
本当にありがたい。





2桁以上の数字が聞き取れない

例)86(はちじゅうろく)を聞き取れない。
はちろく、なら聞き取れる。


数詞の聞き取り、未だに難しいです。
数字を一つ一つ、区切ると大丈夫。








相変わらず計算できなーい


数字は自動シャットアウトから、時間はかかりますが少ーーーーーーしだけ出来るようにはなったと思います。



実は「もうできなくていいや」という感じです。
諦めの境地です。

それに17年目となると数の経験値がある程度身につきます。


何より電卓とスマホがあります。
私は病前から機器に頼っています。


計算できないことの弊害として、よく「買い物の際にとりあえずお札を出す」というお話を聞きますが、私も買い物はお札を出していました。


しかし私の場合は、計算が困難なことによってこの現象が起こったというより、

その奥にある注意機能やワーキングメモリーなどの問題により起こってしまった印象です。



私の対策としては、「予行演習」「実地訓練」でイレギュラーをレギュラー化していくことなんですが、

とても・・・とっっっても時間はかかります。



どれだけ場数を踏み、失敗していくか・・・
「もうやってられないよーーーー!!」となります。







(※ワーキングメモリーと軽率に書いちゃいましたが、ワーキングメモリーはとてもとてもとっても深いものなので、こんな弱小零細ブロクのいうことは信用しないでいただきたいと思います)








余談②

「こんなに数字に弱くてよく銀行で働けるな・・・」と思ったそこのあなた。
結論をいうと、できます。

銀行には加算機という事務用品があります。
電卓のように数字を入力すると、紙にプリントされる機械です。
いま入力した数字を忘れても、紙を見れば確認ができます。
そしてその紙と書類・伝票等を再鑑に回します。


ヒューマン・エラーがある以上、どんな方も暗算はしません。








終わりに



当然ですが、失語症にも様々なケースがあります。


私の場合の「失語症がある。」
と言ったその「失語症がある。」の言葉の裏には、




書くこと・読むことが苦手。

耳からの情報を十分に理解できない部分がある。

特に数字の聞き取りが苦手。というかできない

簡単な計算もできません。





を、含んでいます。
でも毎回これを伝えるのしんどい。



しかし、社会生活も送る上で、説明し理解してもらったほうが自分も周りも生活しやすい。





周りの方に説明する手段の一つになればいいと思い、ブログを書いています。
(自分の症状を言語化する練習も兼ねて)


分かりやすく伝われば幸いだ、と思っています。





そして、17年目になった今も失語症の症状はありますが、少しずつ少しずつ回復・習熟しています。



発症は2009年。

徐々に自分の言語機能に自信がつき、ブロクを始めたのが2017年。

旧Twitterを始めたのが2018年。

失語症の影響もあり、誰かに発信するという行為が億劫になっていましたが、


いま、長い文章を読めるようになった・書けるようになったことが自信にも繋がっています。



このまま回復するのか、加齢によって能力が衰えていくのか、この先は分からない部分ではありますが、

今できることをやっていけたら・・・と思います。




終わり。

コメント

タイトルとURLをコピーしました